年 | 年齢 | 記事 | 備考 |
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1928 | 1 | 12月15日、ウイーンに生まれる。本名はFriedrich Stowasser。父はアーリア系オーストリア人、母はユダヤ系チェコ人。 | 1929 | 2 | 父逝去 | 1936 | 8 | ウイーンのモンテソーリ小学校に入学。早くも画才を発揮し、「色彩と造形のセンスが非凡」と認められる。 |
1943 | 15 | 母方の親戚、ナチスに連行され祖母、伯母ら殺される。 クレヨンで写生を始める。 | |
1948 | 20 | 高校卒業後ウイーン美術アカデミーに入学するも3カ月で退学。 | |
1949 | 21 | 名前をFriedensreich Hundertwasserに変える。 ウイーンを離れ、放浪の生活が始まる。 | |
1950 | 22 | 初めてパリを訪れる。エコール・デ・ボザールに一日だけ通う。 パリで初めての展覧会を開くが、風変り過ぎると翌日撤去させられる。 | |
1951 | 23 | ウイーンに戻り、アート・クラブに参加、会員となる。 | |
1952 | 24 | アート・クラブの画廊で初めての個展。「口髭のあるヨーロッパ人」等 | |
1953 | 25 | 作品に渦巻きが登場し、直線に対する攻撃が始まる。 アート・クラブで二度目の個展。「九九の顔」等 | |
1954 | 26 | この時期多くの水彩画を制作する。 この年から作品を整理して、ナンバーをつけ始める。 | |
1956 | 28 | 「バウタ号」の船員としてゼーデルハルンからフルまで航海する。 | |
1957 | 29 | ノルマンジーに農場”ラ・ピコディエール”を買い、エコロジーに係る仕事を開始する。 第一回ボルドー・ビエンナーレに参加、受賞する。 | |
1958 | 30 | ジブラルタルでHerta Leitner と結婚(60年に離婚) | |
1959 | 31 | サンパウロで第5回ビエンナーレ、サンブラ賞を受賞。 ハンブルグ美術大学の非常勤講師となるが、授業中に「無限の線」を引き、校長の反対にあって辞職。 | |
1961 | 33 | 日本を訪れる。「フンデルトワッサー」展(銀座・東京画廊)。第6回毎日国際美術展にも出品し、毎日賞を受賞する。 北海道、シベリアを訪問。 | |
1962 | 34 | 池和田侑子と結婚(66年に離婚)。 ヴェネツィアのジュディッカにアトリエを設ける。 | |
1964 | 36 | 初めての大回顧展が企画され、ヨーロッパ各地の美術館を回る。 最初の作品目録がケストナー協会より出版される。 | |
1967 | 39 | ウガンダ、スーダンに旅行 | |
1968 | 40 | 船を購入し、「雨の日号」と命名、改造してシシリーからヴェネツィアまで航行する。 | |
1969 | 41 | 米国巡回展。 | |
1970 | 42 | 映画「雨の日」制作開始。72年に一般公開される。 | |
1971 | 43 | ミュンヘンオリンピックのためのポスターを制作。 | |
1972 | 44 | 屋上に森林を形作ったり、独創的外観をもった建築物のミニチュアを展示する。 母逝去。 | |
1973 | 45 | 日本の版画職人との11年間の共同制作の末、初めての木版画集「七百水」が完成する。 | |
1974 | 46 | 切手「オーストリアのモダンアート」の「Spiral Tree」をデザイン。(75年に発行) | |
1975 | 47 | 二作目の木版画集「緑の涙」を出版。 世界巡回展「オーストリアはフンデルトヴァッサアーを紹介する」(ミュンヘン、パリ、ルクセンブルク、マルセイユ、カイロ) ニュージーランド、ベイ・オブ・アイランドに定住。 | |
1976 | 48 | 世界巡回展(テルアビブ、ワルシャワ、レイキャビク、コペンハーゲン、ダカール) | |
1977 | 49 | 世界巡回展(東京西武美術館、横浜市民ギャラリー)のために来日 世界巡回展(香港、ケープタウン、プレトリア、リオ・デ・ジャネイロ、ブラジリア、サン・パウロ、カラカス) | |
1978 | 50 | 中東の平和の旗をデザイン。 詩人でもあるサンゴール大統領に招待されセネガルを訪問。 世界巡回展(メキシコシティ、モントリオール、トロント、ブリュッセル、ブダペスト) | |
1979 | 51 | オーストリア国立印刷局がセネガル共和国の切手3種、カーボベルデ島共和国の切手1種を印刷。 ウイーン造幣局が5種のデザインメダルを発行。 世界巡回展(マドリード、チューリヒ) | |
1980 | 52 | ウイーンの市民ホールに屋根に木を植え、不揃いな窓のある風変わりな住宅の模型を展示。以後長い論争の種となる。 世界巡回展(ローマ、ミラノ、オスロ、ケルン) 巡回展「Hundertwasser is Painting」(東京画廊、ハンブルグ、パリ、オスロ) 「フンデルトワッサー」展(兵庫県立近代美術館)。 | |
1981 | 53 | オーストリア自然保護賞を受賞。 世界巡回展(ウイーン、グラーツ、東ベルリン、ヘルシンキ、ブカレスト) 巡回展「Hundertwasser is Painting」(ウイーン) | |
1982 | 54 | 世界巡回展(ソフィア) 娘Heidi Trimmel誕生。 | |
1983 | 55 | 国連の切手「世界人権宣言35周年」をデザイン。同年発行。 シルク・スクリーン「Homo Humus」について、10002枚の異なるコピーを作り始める。 世界巡回展(ロンドン、ニューヨーク、エジンバラ) | |
1984 | 56 | 市営賃貸住宅Hudertwasser Haus着工。 国連の切手のデザインに対して、イタリア大統領から最優秀賞と金メダルを受ける。 ハインブルグ近郊の森と水保存運動に参加。ポスターを制作し宣言文を編集。 | |
1985 | 57 | Hudertwasser Haus建築に従事。 フランス文化大臣ジャック・ラングより芸術文化勲章の受賞者として指名される。 | |
1986 | 58 | Hudertwasser Haus完成。 世界巡回展(ブリュン、プラハ) | |
1987 | 59 | オーストリア、EUROPALIA記念切手を発行。 ウイーンのフランス大使より芸術文化勲章を授与される 世界巡回展(カールスバード、ブラスティラバ) | |
1988 | 60 | ウイーン市のごみ焼却工場改装にあたって、外壁を制作。 | |
1989 | 61 | 「フンデルトワッサー」展(東京庭園美術館、いわき市立美術館、大原美術館)。 | |
1991 | 63 | KunstHausWien(ウイーンアートハウス)開館。 | |
1992 | 64 | 「自然を生きる人間の創造」展(銀座ポケットパーク)。 「21世紀カウントダウン時計」(東京赤坂TBS) | |
1997 | 69 | 12種類の風呂敷用の絵を制作、商品化。 「キッズプラザ大阪『こどもの街』」(大阪市北区) | |
1999 | 71 | 「楽園を求めて―絵画から建築へ」展(高松市立美術館、名古屋市立美術館、兵庫県立近代美術館)。 | |
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2000 | 2月19日ニュージーランドよりヨーロッパに向かうクイーン・エリザベスU号船上で逝去。71歳。ニュージーランドで埋葬される。 | ||
2001 | 「大阪市環境局舞洲工場」(大阪市此花区) | ||
2004 | 「大阪市舞洲スラッジセンター」(大阪市此花区) |