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フンデルトヴァッサー氏の生涯

岩崎美術社「夢人館Tフンデルトワッサー」、講談社「現代美術第9巻フンデルトワッサー」などの資料をもとに作成しました。

年齢記事備考
1928112月15日、ウイーンに生まれる。本名はFriedrich Stowasser。父はアーリア系オーストリア人、母はユダヤ系チェコ人。
19292父逝去
19368ウイーンのモンテソーリ小学校に入学。早くも画才を発揮し、「色彩と造形のセンスが非凡」と認められる。
194315母方の親戚、ナチスに連行され祖母、伯母ら殺される。
クレヨンで写生を始める。
194820高校卒業後ウイーン美術アカデミーに入学するも3カ月で退学。
194921名前をFriedensreich Hundertwasserに変える。
ウイーンを離れ、放浪の生活が始まる。
195022初めてパリを訪れる。エコール・デ・ボザールに一日だけ通う。
パリで初めての展覧会を開くが、風変り過ぎると翌日撤去させられる。
195123ウイーンに戻り、アート・クラブに参加、会員となる。
195224アート・クラブの画廊で初めての個展。「口髭のあるヨーロッパ人」等
195325作品に渦巻きが登場し、直線に対する攻撃が始まる。
アート・クラブで二度目の個展。「九九の顔」等
195426この時期多くの水彩画を制作する。
この年から作品を整理して、ナンバーをつけ始める。
195628「バウタ号」の船員としてゼーデルハルンからフルまで航海する。
195729ノルマンジーに農場”ラ・ピコディエール”を買い、エコロジーに係る仕事を開始する。
第一回ボルドー・ビエンナーレに参加、受賞する。
195830ジブラルタルでHerta Leitner と結婚(60年に離婚)
195931サンパウロで第5回ビエンナーレ、サンブラ賞を受賞。
ハンブルグ美術大学の非常勤講師となるが、授業中に「無限の線」を引き、校長の反対にあって辞職。
196133日本を訪れる。「フンデルトワッサー」展(銀座・東京画廊)。第6回毎日国際美術展にも出品し、毎日賞を受賞する。
北海道、シベリアを訪問。
196234池和田侑子と結婚(66年に離婚)。
ヴェネツィアのジュディッカにアトリエを設ける。
196436初めての大回顧展が企画され、ヨーロッパ各地の美術館を回る。
最初の作品目録がケストナー協会より出版される。
196739ウガンダ、スーダンに旅行
196840船を購入し、「雨の日号」と命名、改造してシシリーからヴェネツィアまで航行する。
196941米国巡回展。
197042映画「雨の日」制作開始。72年に一般公開される。
197143ミュンヘンオリンピックのためのポスターを制作。
197244屋上に森林を形作ったり、独創的外観をもった建築物のミニチュアを展示する。
母逝去。
197345日本の版画職人との11年間の共同制作の末、初めての木版画集「七百水」が完成する。
197446切手「オーストリアのモダンアート」の「Spiral Tree」をデザイン。(75年に発行)
197547二作目の木版画集「緑の涙」を出版。
世界巡回展「オーストリアはフンデルトヴァッサアーを紹介する」(ミュンヘン、パリ、ルクセンブルク、マルセイユ、カイロ)
ニュージーランド、ベイ・オブ・アイランドに定住。
197648世界巡回展(テルアビブ、ワルシャワ、レイキャビク、コペンハーゲン、ダカール)
197749世界巡回展(東京西武美術館、横浜市民ギャラリー)のために来日
世界巡回展(香港、ケープタウン、プレトリア、リオ・デ・ジャネイロ、ブラジリア、サン・パウロ、カラカス)
197850中東の平和の旗をデザイン。
詩人でもあるサンゴール大統領に招待されセネガルを訪問。
世界巡回展(メキシコシティ、モントリオール、トロント、ブリュッセル、ブダペスト)
197951オーストリア国立印刷局がセネガル共和国の切手3種、カーボベルデ島共和国の切手1種を印刷。
ウイーン造幣局が5種のデザインメダルを発行。
世界巡回展(マドリード、チューリヒ)
198052ウイーンの市民ホールに屋根に木を植え、不揃いな窓のある風変わりな住宅の模型を展示。以後長い論争の種となる。
世界巡回展(ローマ、ミラノ、オスロ、ケルン)
巡回展「Hundertwasser is Painting」(東京画廊、ハンブルグ、パリ、オスロ)
「フンデルトワッサー」展(兵庫県立近代美術館)。
198153オーストリア自然保護賞を受賞。
世界巡回展(ウイーン、グラーツ、東ベルリン、ヘルシンキ、ブカレスト)
巡回展「Hundertwasser is Painting」(ウイーン)
198254世界巡回展(ソフィア)
娘Heidi Trimmel誕生。
198355国連の切手「世界人権宣言35周年」をデザイン。同年発行。
シルク・スクリーン「Homo Humus」について、10002枚の異なるコピーを作り始める。
世界巡回展(ロンドン、ニューヨーク、エジンバラ)
198456市営賃貸住宅Hudertwasser Haus着工。
国連の切手のデザインに対して、イタリア大統領から最優秀賞と金メダルを受ける。
ハインブルグ近郊の森と水保存運動に参加。ポスターを制作し宣言文を編集。
198557Hudertwasser Haus建築に従事。
フランス文化大臣ジャック・ラングより芸術文化勲章の受賞者として指名される。
198658Hudertwasser Haus完成。
世界巡回展(ブリュン、プラハ)
198759オーストリア、EUROPALIA記念切手を発行。
ウイーンのフランス大使より芸術文化勲章を授与される
世界巡回展(カールスバード、ブラスティラバ)
198860ウイーン市のごみ焼却工場改装にあたって、外壁を制作。
198961「フンデルトワッサー」展(東京庭園美術館、いわき市立美術館、大原美術館)。
199163KunstHausWien(ウイーンアートハウス)開館。
199264「自然を生きる人間の創造」展(銀座ポケットパーク)。
「21世紀カウントダウン時計」(東京赤坂TBS)
19976912種類の風呂敷用の絵を制作、商品化。
「キッズプラザ大阪『こどもの街』」(大阪市北区)
199971「楽園を求めて―絵画から建築へ」展(高松市立美術館、名古屋市立美術館、兵庫県立近代美術館)。
***
20002月19日ニュージーランドよりヨーロッパに向かうクイーン・エリザベスU号船上で逝去。71歳。ニュージーランドで埋葬される。
2001「大阪市環境局舞洲工場」(大阪市此花区)
2004「大阪市舞洲スラッジセンター」(大阪市此花区)