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その他あれこれ (3)

○1983年発行の国連切手へのメッセージ

 1983年に、国連は世界人権宣言35周年を記念して6種類の記念切手を発行しました。その原画をフンデルトヴァッサー氏が描いたのですが、その発行に当たって氏が記した文章がありますのでご紹介します。「フンデルトヴァッサー氏と切手」に引用した1990年の文章と内容的にオーバーラップする部分もありますが、氏の切手に対する思いというものが強く感じられる文章です。訳文がありませんでしたので、誤解や誤訳があるかもしれませんが掲載します。

 「切手は大事なもので、小さいけれど重要なメッセージを持つものだ。切手は国の文化的な水準を量るメジャーでもある。その小さな紙片は、手紙の送り手と受け手の間の距離を縮めてその心を繋ぐ。切手は、人びとや国々の間の架け橋になる。切手には国境がなく、牢獄や収容所や病院にいる人々にも届く。
 切手は小さいけれども芸術の大きな作品になり、若い人もお年寄りも、貧しい人も豊かな人も、健康な人も病んだ人も、知識がある人もない人も、牢獄にある人もそうでない人も、誰もがそれを楽しむことができる。切手は、高度な技術によって結晶化された美のような、天国を表わす小さな見本でなければならない。
 切手は、芸術と生命の使者でなければならないのであって、支払った郵便料金に対する単なる領収書であってはならない。切手は、手紙に貼られて役に立つという、その運命に合致し、その使命に戻らなければならない。本当の切手というものは、手紙の送り主が切手の裏糊を湿らせる舌を感じ、手紙に貼られることを感じなければならない。切手は、郵便ポストの内部の闇を経験しなければならない。切手は、郵便局で消印を押すゴムのスタンプを受けなければならない。切手は、他の手紙とともに郵袋に入れられて、船や飛行機、車で運ばれなければならない。切手は、郵便配達人が手紙を受取人に手渡すその手を感じるものでなければならない。
 切手は、投函されなければ、切手だといえない。その切手は生きていなかったのであり、ニセモノなのだ。泳いだことのない魚、空を飛んだことのない鳥のようなものだ。切手は、切手として生きてきたということが必要だ。それができた時、その時だけ、切手は、コレクターの収集品としての新しい生を始めることができる。その時、切手は、その美しさや、その技術の高さ、貴重さによって愛され評価されるようになるのだが、何よりも、証拠として、目撃者として、メッセージの伝達者として愛され、評価されるのでなければならない。
 人は誰でも、自由にこの素晴らしい芸術からなる単片を遠方からの贈物として受け取る。切手は、文化と美と人の創造性を目撃する芸術の単片でなければならない。この小さな芸術の単片はこれらのメッセージを待ち望んでいる人の元に届く。かくて、一通の手紙は二つのメッセージを持つことになる。その一つは、そこに書きつけられた個人としてのメッセージであり、もう一つは素晴らしい王国からのメッセージ、国々と民族を示し夢が実現する、人の創造性の王国からのメッセージである。そして人の情熱的な努力が美を作り出したいという根源的な衝動と結ばれるとき、その結果、地球の平和が実現する。
 それが、国連が高度な技術を使ったユニークな切手を発行するという大いなる試みに対して私が敬意を表する理由なのだ。なぜならば、地球上のより良き生命を自然の創造性と人との調和の中で世界に例を示せるのは国連、あらゆる人々の願望が出合うこの世界の人びとの希望を示す国連、をおいて他にないからである。」